2019年05月01日
森と文明
進化の流れ
子どものころ、よく父親から「丹田に力を入れろ」とハッパをかけられたものです。そのようなわけで、おへその下あたりに、生きていくうえで非常に大事なところ(丹田)があって、そこを大切に、そして鍛えておかなければならないのだという印象を強く受けていました。
大人になって、「腹式呼吸」が大切だということを知り、ただ何となくお腹で呼吸していたものですが、ある時、丹田を意識して呼吸をすると、エネルギーが湧いてくるのを感じ、「ここには何かあるぞ」と思ったりしたものです。
そしてある時、私たちの体には、上、中、下の三か所に丹田と呼ばれる「場」があり、それぞれ上丹田(額)、中丹田(胸)、下丹田(下腹)と呼ばれているということを聞きました。やがて上丹田(額)は知性を、中丹田(胸)は感性を、下丹田(下腹)は元気を象徴している『場』なのだということを知ることができました。
ところで、下丹田は、たくましくイキイキと生きていくうえで、根源的な役割を果たす大切な器官として、古来『肚(はら)』と呼ばれています。
『肚』という字の「月」を「木」におきかえると、『杜(もり)』という字になりますね。『肚(はら)』というのは、人間の肉体にあって、『杜(もり)』(森)の役割を果たしているということを意味しているようにも感じられます。
子どものころ、京都・上賀茂神社のそばで育ったものですから、神社の奥に広がっている森によく遊びに行きました。ある時、狐のような動物がこちらのほうを見ているのに気づいて、怖かったのが思い出されます。
大人になって気づいたことは、神社の奥には必ず森があるということ、そして日本の森には神様がおられるのだ、ということです。科学万能の現代社会では、「何を馬鹿なことを」ということになるのかも知れませんが、日本人の意識の中には、それが事実として受け継がれてきた印象があるように思われます。
日本は、世界の文明国の中では、群を抜いて森林の多い国で、国土の67%が森林でおおわれていて、そのうちの約60%は天然林なのだそうです。日本の国土の三分の一が天然林だということなのですから、私たちはすごく自然に恵まれているのですね。
しかし、そんな日本でも、戦後、工業化が著しく進展した結果、自然破壊が日本中いたるところで見られるようになりました。
人類は、森の中で生活していた狩猟採集時代から農業化社会、工業化社会、情報化社会を経て現代に至り、そして今、新しい社会へ差しかかりつつある… そんな道のりを歩んでいるといってよいと思います。
私たちは、あらゆる植物、動物と仲良く暮らす、すなわち天地自然と調和しつつ、生を全うする、そんな生き方を編み出す必要があるように思います。
地球進化の跡を振り返りますと、鉱物→植物→動物→人間となるようですが、この進化の流れはそっくり、私たち人間の肉体の構造にも当てはまるようです。以下に示しますように、進化の跡が人体にインプットされ、生命システムを形成しているように思われます。
① 鉱物(ミネラル)…骨や歯をはじめ、様々なミネラルのおかげで人間の肉体の基礎はでき上がっています。日本人は、漬物や煮物など、野菜からミネラルを摂取するという生活の知恵を育んできました。
② 植物…胃や腸などの植物性器官の働きを通して、栄養やエネルギーを体内に取り込み、〈吸収→循環→排出〉という流れで、生きる働きを司っています。
③ 動物…餌を知覚する目や耳、指令を出す脳、指令をキャッチして働く骨や筋肉などの動物性器官が、「知覚→伝達→運動」という一連の機能を担っています。
土そしてイノチ
鉱物からいきなり植物が発生するには非常な困難が伴うのではないでしょうか?しかし興味深いことに、鉱物(岩石)に地衣類が寄生して、岩を砕いて土に変えてくれるのだそうです。そのおかげで土壌が形成され、植物が生息し、杜(もり)が形成されるというわけです。文字通り、土があっての杜(森)なのですね。
「土」はイノチの源泉なのだ、というメッセージが伝わってくるのではないでしょうか? 日本語の示すところによりますと、人間の場合には、「土」は「肚(はら)」として「下丹田」すなわちお臍(へそ)の少し下に存在します。『肚』によって、人は「土」すなわち自然の根源力と結ばれているというわけです。
子どものころ、胃や腸、腎臓や肝臓など、人間の臓器には、月という字がついているが、これを『ニクヅキ』というのだ、と教えられました。ツキに土がついて『肚』と読むというのには、大きな意味が込められているような気がいたします。『肚』というのは、人の肉体の中に存在し、あらゆるものを育てるという大切な役割を担っている、いわば人体の森と考えてみてはいかがでしょうか?
下腹部には、私たちの心身の働きの素となる根源的なエネルギーを創造、産出している大切な「場」、すなわち私たち日本人が、先祖代々、大切に継承してきた「鎮守の森」が存在するというわけです。
日本文化論を展開し、梅原古代学を確立された故梅原猛氏は、「日本の宗教は神道と仏教ですが、特に日本の神道は、私は本来、森の宗教であったと思う。…日本の神社には必ず森がある。森のない神社は神社ではない。…7世紀以前には、神社には神殿も拝殿もなく、神様は森そのものであった。…ご神木にはしめ縄が貼ってありますが、それはこの木には神様が降りてきますよという印なのです。…つまり日本の神道はもともとは自然崇拝なのです。…」そして「日本の宗教は、神道はもちろん仏教も樹と森の宗教になっていった…森の文明の考え方の基本は”生命はひとつだ”ということです。DNAは人間にも動物にも植物にも共通にあることがわかった。これは生命はひとつだということの何よりの証明です。…植物や動物の命を尊敬して天地自然を尊敬する、そしてその天地自然や動物と調和して生きていく。…人間は動物や植物を殺さなくては生きていけない面があります。…人間が生きていくとはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命であって、すべてのものはあの世とこの世を循環しつつ、永遠に共生しているのだということを認識しなければならないと思います。」と述べておられます。
現代という便利な時代に生きる私たちが、心すべきテーマについて問いかけていただいているのではないでしょうか?
*参考文献:梅原猛『森の思想が人類を救う』
小学館ライブラリー
(つづく)