2020年03月01日

土の力(1)

私は10代から20代にかけて、京都市の繁華街・四条新町の辺りに住んでいました。退屈すると、自転車に乗って、祇園から御所、上賀茂、そして嵐山などあっちこっちに出かけ、暇をつぶしたものです。


30代のある時、ある人から「近藤さん、御所ではセミの死骸が見つからないそうですね」と声をかけられました。そんなことは意識したこともなかったのですが、“そう言われると、御所でセミの死骸を見た記憶がないなあ。ミンミン、ミンミンとうるさいほど蝉の大合唱が聞こえてくるのに。どうしてだろう?”……と、それ以来、このことが心の底で、ずっと気になっていました。



ある時、キリスト教を育んだヒューマニズムの語源“フムス”は、腐植土(=土)のことを意味する言葉であることを知りました。人はこの世に生まれ、しばしの間、大地にへばりつき支え合って生きていくことにも、大きな意味があるのだなあと気づかせていただいた次第です。


アスファルトは合理的で便利なのですが、ある時、土の上で飼育していた鶏の卵とアスファルトの上で飼育していた鶏の卵を比べてみると、その品質に明確な差があるということを知りました。


その後、注意深く接していると、アスファルトにはイノチを光り輝かせる力は、あまりないのだということをいろんな場面で体験し知ることになりました。と申しましても、アスファルトを使わないでおこうということを申し上げたいわけではありません。ケースバイケース、必要に応じて使い分けていけばよいと思うのです。



私どもの会社は、近鉄“高の原”駅の近くにあるのですが、“原”の語源は“波羅”すなわち“極楽浄土”なのだそうです。少しでも極楽浄土に近い空間で仕事がしたいものですし、お客様にもそんな空間にお越しいただきたいと願っています。


“高次元エネルギーの降り注ぐ清らかな『土』”をイメージし、駐車場には、アスファルトを敷き詰めることなく、『土』の駐車場にして、皆様方のお越しをお待ち申し上げている次第でございます。



都会の景観にしても、20世紀に目立つのはコンクリートの建物ばかりでしたが、今世紀中には、木のビルディングも開発されるのではないでしょうか?



人のイノチと“土とのかかわり”


2025年の大阪万博は「いのち輝く未来社会をデザインする」をメインテーマとして開催されるのだそうです。人間のイノチというのは、体、脳、心が一体となって存在する『全体の力』でありますし、決して部分の和として存在するものではありません。


人は、「今ココ」をトータルに生きていますので、爪にしても、眼、血液にしても、イノチのエネルギーを受けて、この瞬間にすべてが同時に形成されますね。



ところが病気というのは、「胃が悪い、足が痛い、心臓がどきどきする」など部分がテーマとなることが多いように思います。


そこで私どもでは、「病気を治して元気になる」という表現ではなく、「元気になれば病気は治る」ととらえています。



『元気』とは一体何なのでしょうか?


たとえば腰が痛いとします。そんな時、何故か意識することなく腰に手を当てますと、滞っていた『気』が巡り出し、気持ちよくなることがありますね。


私たちが健康なときには、そんな眼にみえない『気』が流れていて、何の問題もなく日常生活を送ることができるのですが、病気となるとそうはいきません。頭が痛いということは、頭に『気』が集まり滞っている状態ですし、腰が痛いというのは、腰に『気』が集まり滞っている状態を意味しています。


『気』という観点から考察いたしますと、病気というのは、“『気』を病む”こと、すなわち『気』が滞って、スムーズに流れない状態を指しているということになります。



中学生の頃、動物園の裏を流れている川(私たちは疎水と呼んでいました)に泳ぎに行ったものです。いま思うと、けっこう危険なところだったようで、渦が巻いている所もありました。渦に近づくと引き込まれるのですが、渦に巻き込まれるのが楽しくて、渦と遊んだものです。巻き込まれている最中に渦から出ようとしてもなかなか抜け出せないものですが、渦にまかせていると、ひとりでに抜け出ることを体験しました。


私たちの人生においても、渦に巻き込まれるような感覚を味わうことがあるのではないでしょうか? イノチをあるがまま、起こるがままに生きることが大切なのだということを思い出している次第です。



人のイノチを考える時、非常に大切なことは“土とのかかわり”だと思うのです。私の若いころ、「日本には道路がない」という言葉をよく聞いたものです。舗装されることなく、“土”むき出しの道がずーっと続いていました。京都から大津に出て近江舞子から萩ノ浜あたりまで自転車で出かけたものですが、雨の後など、道は泥だらけでずいぶん苦労したことが思い出されます。


舗装された都会に住んで便利な生活を送っている私たち現代の大人から見ると、泥だらけの道は大変ですが、子どもは違いますね。泥が大好きらしく、ちょっと目を離すと、ニコニコしながら泥だらけになって帰ってきますね。



私たち現代人は、土から離れて、コンクリートが当たり前という世界に住んでいますので子どもの世界がわからなくなっているのだと思います。子どもたちは裸足で、汗びっしょり・泥だらけになり、駆け巡っています。そうすることで、大自然から本物のエネルギー『天の気』そして『地の気』が供給され、元気に育っていくということになるわけです。


先述の大阪万博のテーマが「いのち輝く未来社会をデザインする」というのは非常にタイムリーだと思います。人間は「体と心と脳」が一体となって存在していて、「部分の和」が全体として存在しているのではないということですね。


私たちは、ついつい「足が痛い、胃が悪い…」などなど、体の部品に焦点を当てて健康を追求しがちですが、イノチというのは、体と心を区別することなくこの瞬間に生きていくために必要なエネルギーを供給してくれている、というのはすごいことだと思うのです。爪にしても、眼にしても、血液にしても、この瞬間に供給されたイノチのエネルギーを受け取り、自然の摂理に従って、その役割を全うしてくれている……“土とのかかわり”の中で、見えてくるものがまだまだたくさんあるような気がいたします。





Posted by THDstaff at 10:00