2020年05月01日

土の力(3)

私どもは、美しく健やかに生きていくために必要な情報、知識、知恵をご提供させて頂くことを使命と心得、日々、活動させて頂いております。大切にしていることは、「場」の力を高め、「自然治癒力」を養い、心身を整えること・・・・・『極楽浄土』こそ究極の到達地点ということになります。



『極楽浄土』というと、どこか別世界のような感じがいたしますが、私たちが日々、生活しているこの現実世界においても、『浄土』すなわち清らかでエネルギーの高い『土』に囲まれて生活していくことが大切なこととして浮かび上がってまいります。



未来像(ビジョン)である“なりたい姿”を実現するためには、根っこすなわち土壌づくりが大切になってまいります。


たちが息を吸い、そして息を吐く・・・背後にあるのは、意識することもなく流れていく日常生活を陰日なたなく支えてくれている『土の力』『土のエネルギー』なのですね。



杜(もり)という字からは、無数の木のイノチを支えている土のエネルギー、肚(はら)という字からも、人のイノチを支えている土のエネルギーが感じられるのではないでしょうか?


「土壌」は単に、物理的な存在ではなく、その中に含まれている生物体と密接な関係にあるといわれています。生命を土壌に与え、また逆に土壌から生命を与えられる無数の昆虫やバクテリア、真菌などの生物体が大切な役割を果たしているというわけです。


「土壌」というのは、岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったものを指しているのですね。



地球の岩石は、水と酸素そして生物の働きによって分解されます。土を生み出す現象も含めて風化と呼ばれています。


土には、細菌(バクテリア)とカビやキノコ(まとめて菌類)が同居していて、落ち葉を分解し、腐植へと変換しているそうです。新鮮な生物遺体が原形をとどめないほど細かく分解され、腐葉土となり、腐葉土はさらに変質して腐植となり、一部は粘土と結合するのだそうです。



「種」、それ自体はエネルギーが内に向いていて、土とのつながりは一切ありませんし、固い殻に囲まれていて、内向性としか言いようがありません。しかし唯一、「土」だけが種を発芽させ、花を咲かせる原動力となる・・・・考えてみれば不思議なことでもありますね。


どんなに素晴らしい花を咲かせることができるプログラムをもった生物も土がなかったら発芽して成長することができません。土壌があってはじめて種は成長できるというわけです。梅は梅、桜は桜として発芽し、成長し、大きな樹となり、花を咲かせる・・・・すべてバランスのとれた風土あってのことなのですね。



『土』には「自我」が存在せず、受け身であって、自分から何かしようとは思わない・・・・すべて相手の力、技、祈り任せ、“どうぞ、お好きになさいなさい”というわけです。種の中に潜在しているエネルギーが土の中で開放され、他の有機物とそれらを分かち合うことによって、樹となり花が咲くというわけです。



「イノチ」というのは、この瞬間に生きていくエネルギーを供給してくれているのですね。


眼も爪も肌もすべては、この瞬間に供給されたエネルギーを受け取り、自然の摂理に従って役割を全うしているというわけです。



土は、どこか日本人の特性と似たところがあるようです。思いやりがあって、相手の状況をまず想像しますね。そして「個」の都合より全体を優先する傾向もあるようです。外部環境に対して深く関心をもつ民族ではありますが、自ら種を創り出すことは苦手な民族なのかも知れません。


しかし、日本人は、土の中に潜む種のように、他の存在とエネルギーを分かち合い、調和しながら、“宇宙の意思”を表現する能力をもともと備えているような気もいたします。



宇宙の意思


さて、人間は宇宙の根源的な力によって生かされていると言ってよいと思います。宇宙を構成している要素、すなわち『無限の力、無限の智、超微粒子』は、人間を構成している要素『体力、知力、気力』の原点としての役割を果たすものですから、宇宙の力を体内に集束し、目的に向けて放射することが大切になるのではないでしょうか?


そのために“呼吸”を通して宇宙の中に溶け込んでいくことが大きなテーマになるように思われます。


すなわち丹田(腹壁と背中の中間あたり)に意識を集め、丹田めがけて空気を吸うと、横隔膜が下がり肺底まで空気が行きわたり、腸に大量の血液が集まってくると言われています。いよいよ『気』の働きが本番を迎えることになります。


『気』とは何かについて明確に定義することは容易ではないと思うのですが、『万物の秩序に浸透し、流動している形なきエネルギー』という観点から、『気』の働きについて考察してみることにいたします。


日常生活において、『経絡』『経穴(ツボ)』『丹田』『チャクラ』といった表現に出合うことがよくあります。私などの素人には、明確に理解することは難しいものだと思うのですが、常日頃、虚空から頂いている生命エネルギーの基本的な働きをつかさどっている大切な器官であることを、何となく感じているのではないでしょうか?


コツコツ生きていると、宇宙直結の器官を通して、“私たちの計らいを超えた力”が働くものなのですね。



一見何の関係もない二つの偶然の出来事が、それを体験する人には、何か意味のあることのように感じられる―――そんな“偶然の一致”が起こることがあるものです。心理学者のカール・ユングによってシンクロニシティ(共時性)と名付けられたことはよく知られていますが、ユングは「人間の心の奥には、すべての人に通じる無意識の層があり、さらにその奥には、自然界につながる心の領域がある」としてその領域を“類心的領域”と呼んだのだそうです。「自然界においては、過去に存在した同じものの“形の場”から“形の共鳴”という強烈な作用を受ける。その伝達にはエネルギーの伝達を伴わない」というのです。



たとえばキリンの首が長いのは、長い首の「形の場」が形成され、それと共鳴して長い首のキリンが誕生する。二度あることは三度ある・・・・・というわけで長い首のキリンが生まれるのだとか。



『私たちと深いつながりをもっている自然界そして宇宙といった存在(サムシンググレート)が、無意識を通じて私たちに働きかけるから“偶然の一致”は起こる。したがって“偶然の一致”には意味がある。それは自分だけにあてられた貴重なメッセージなのだ』というのは大変興味深い見方ではないでしょうか?




Posted by THDstaff at 10:00