2014年02月01日

2月 永遠の繁栄のために(1)

プラトンの洞窟


「天・地・人」という表現がありますように、天と地と人が一つになって初めて物事が円滑に進むのだと思います。いま世界は不調和の極みにあって、いつ破局を迎えても不思議ではないという様相を呈しているように見えます。


人類は、何か錯覚をしていて、道を間違えているのかもしれません。


「プラトンの洞窟」というたとえ話が浮かんできます。手足を縛られた囚人が洞窟の奥のほうに閉じ込められていて、彼らは奥の壁しか見ることができません。奥の壁には洞窟の入り口から光が差し込んできますので、洞窟の前を人や馬などが通ると、それが洞窟の壁に映ります。囚人たちはその影を見ているのですが、彼らにとってそれが現実ですから、見るものはすべてが影というわけです。


時々声や物音が聞こえてきますので、彼らはその声に向かって話しかけることができます。


しかし彼らには赤や青、緑や黄色といった色彩が存在しません。いきいきと咲き誇る草花も天空に広がる青空も、そしてのんびりと流れる白い雲も存在しないのです。


彼らにとっては、影が世界であり生活のすべてなのです。現代人が置かれている状況を見てみますと、「プラトンの洞窟」は他人ごととは言えないように思えてきます。いまある“豊かさ”に気づくことなく、欠乏感をエネルギー源として地球のすべてを収奪しようとしているように見えます。


私たちに必要なことは、欠乏感から何か新しい文明を作り上げるのだという“影の感覚”から脱皮し、もうすでにある“豊かさを自覚する”ことではないでしょうか?洞窟を出る時期に来ているのだと思います。


洞窟を出れば、美しい草花が咲き誇り、きらきらと光を放ちつつ、さらさらと小川が流れる桃源郷のような世界が姿を現すのですから。


“自然に学び、自然に帰る”という感覚を大切に、新しい文明を創っていきましょう。



「言語と情緒と自然が一体」となった日本人の脳


1978年、東京医科歯科大学の名誉教授・角田忠信氏は「日本人の脳」(大修館書店)という名著を出版されました。数多くのデータをもとに日本人の脳の働き方が西欧人とは少し違うということを証明され、日本人論に火が付くと同時に世界的な反響を呼びました。


医学の世界では、人間にとって大切な働きをする五官などの「感覚」にかかわる領域は、精神科や内科から除外してしまい耳鼻咽喉科に預けてしまった、と角田教授は述べておられます。耳鼻咽喉科には、聴覚、味覚、嗅覚のほかに音声言語と人間らしい行動をするための「平衡感覚」も含まれているのです。


「感覚」の研究を進めるうちに、角田教授は聴覚という「感覚」を使って脳の働きを調べるという、それまでにない方法を編み出すことによって、日本人の脳の特異性を明らかにされました。


角田教授は「ある晩、コオロギの鳴き声がうるさくて、一向に勉強に身が入らない。単なる雑音であればそんなに気にならないのに、妙に虫の音が思考の邪魔をする。そこでコオロギの声を研究したところ、虫の声は言語ではないので、当然右脳で処理されると予想していたのが、これが左脳だった」という体験をされたのです。


虫の鳴き声が言語や論理的思考を処理する左脳に入るのですから、気が散って勉強の妨げになるというのは納得ですね。


多くの被験者で試験した結果、虫の声を日本人は左脳で聞き、西欧人は右脳で聞くことがわかりました。西欧人では、言語音と子音そして計算を左脳がつかさどり、あとは音楽も機械音も泣き笑いの声も虫の音も、全部右脳がつかさどっています。


日本人の場合、音楽と機械音などの雑音は右脳がつかさどっていますが、泣き笑いの声や動物や虫や鳥の鳴き声などはすべて言語音、子音、計算とともに左脳がつかさどっていることが明らかにされました。


日本人には、小川のせせらぎや波の音、鳥の鳴き声などの自然界の響きが、言語脳である左脳に入り“意味のある言葉”として聞こえてくるというのです。日本人にとって、左脳は有機的な心の世界、右脳は無機的な物の世界なのでした。


こんな話を聞いたことがあります。ある秋の夜、草むらできれいな虫の鳴き声がするので、一緒にいた西洋の人に、そのことを伝えてあげたところ、その人には虫の音が全く聞こえなかったそうなのです。


西洋の人にしてみれば、虫の音は右脳で雑音として処理されるので、意識に上がることもなかったのでしょう。日本文化の特徴が、「言語と情緒と自然が混然一体となっていること」が角田教授の研究によって明らかにされたのでした。


西欧人は、言語と計算は一緒ですが、情緒や自然とは切り離されているのです。このような脳の違いは、日本語を使うということから生まれたもので、DNAの違いではないということも検証されたのでした。



言霊・気・笑い


あいまいで、情緒的で、物事をはっきり区別しない、という日本人の特性は、日本語を話すことから生まれたのです。西欧人でも子どもの時から日本語を話していると、脳の働きが日本人のようになるのだそうです。


いま大転換期にさしかかっています。


「私が正しくて、あなたが間違っている。こっちが優れていて、あっちが劣っている・・・」という風に何でもかんでも二つに分けてしまうというあり方にも、いま、赤信号がともっているのだと思います。


「日本人はあいまいである」というとき、なんとなく悪いイメージが付きまとっているようですが、あいまいであることによって、一瞬一瞬、宇宙のメッセージに耳を傾け、今までのやり方に固執することなく、脱皮する生き方ができるという大きな長所があります。


“ピンピンと”元気に生きて、“輝いて還る”ことにチャレンジする会「チャレンジPPK」でおなじみの杉浦清始和尚は「悪とは亜流の心。永遠の正流はない。その時々に従って、正流(主流)が亜流(少数派)によって逆転する」として「悪は創造の源です」というメッセージを発しておられます。“脱皮した蛇だけが生き抜いていく”というたとえがありますが、いま西洋一辺倒のあり方から脱皮し、西洋と東洋を統合する時を迎えているように思うのです。


少し飛躍するようですが、日本文化の中心軸として継承されてきた「言霊」「気」「笑い」が本来あるべき姿に復活すると、一転して素晴らしい社会ができ上るのだと思います。


明るく元気にいきましょう。




Posted by THDstaff at 10:00