2016年05月01日

「気」の話(6)

17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルト(1596~1650)によって「物質と精神は互いに独立して存在する」という二元論が確立されたことにより、近代科学は発展したと言われています。


「物質」を扱う科学と「心」を扱う宗教が完全に二分化されることによって、自然科学の基礎が形成されるとともに「近代的自我」が確立したのでした。


しかし20世紀になって、スイスの心理学者カール・G・ユング(1875~1961)は分裂病者の治療にあたる過程で、因果律では把握できない不思議なことが満ちていることを発見しました。


デカルトによって「体」と「心」が明確に分断されたため、あらゆることが明確になったように思われたのですが、そのことによって人間存在の大切な何かが消え失せたのではないか、その大切な何かは「たましい」なのだということが、精神分裂病者の治療を通して浮き彫りになったのです。


「体と心」「あなたとわたし」「生と死」など、二つのものを分けることによって多くの知見が得られる一方で、見失ったものもあるのではないかとユングは考えました。そこで「たましい」という言葉を導入することによって、宗教ではなく心理学として研究しようとしたのでした。


なかでも「共時性」すなわち「意味のある偶然の一致」という現象を大きく取り上げています。


共時性「意味のある偶然の一致」


臨床心理学者としてユング心理学を日本に紹介し、文化庁長官を務められるなど幅広く活躍された京都大学名誉教授・河合隼雄博士(1928~2007)は、さまざまな症状を過去の生活史や何らかの物質的な要因に還元して考えるよりも、「たましい」の作用として見る方が適切なのではないかと指摘しておられます。


これは分裂病者に限ったことではなく、ごく普通の人間も「たましい」の働きによって動かされていることがよく解るというのです。


そしてユングによる「共時性」すなわち「意味のある偶然の一致」の現象として、次のような事例を紹介されています。


ユングが治療していた若い婦人は、決定的な時機に黄金の神聖甲虫を与えられる夢を見ました。彼女がその夢をユングに話しているときに、神聖甲虫によく似ている黄金虫が、窓ガラスにコンコンとぶつかってきました。この偶然の一致がこの女性の心をとらえ、夢の分析がすすみました。そしてそれ以後の治療はよい結果を得ることができたというのです。


このような「意味のある偶然の一致」の事例は心理療法の場面ではよく生じるのだそうです。


ユングに対しては、これまで「非科学的」という非難が、たびたび浴びせられてきたそうですが、河合博士は「ある現象が自分たちの今もっている理論に合わぬから、偶然とか非科学的とか言ってしまうことこそ問題である。あることはあることとして、われわれはそれを研究せねばならぬ。ただ、どのような態度でそれに向かうかが重要なポイントとなるのだ」と述べておられます。


「たましい」の働き


私は、1990年、「気」の実用化をテーマとしてトータルヘルスデザインという会社を創業いたしました。それ以前から「共時性」にかかわる不思議な現象を、何度も体験していたものですから、これは東洋の「気」にかかわる現象だと思っていましたので、別に非科学的だという印象はありませんでした。


今の物質科学では解明できないということは、そこに未知の原理が働いているからで、だからこそ追求する価値があると思っています。起こることはすべて受け入れ、そこに何が隠されているのか追求することが科学的な態度だと思っているからです。


私事で恐縮ですが、身の回りに起こった「共時性」についてご紹介させていただくことにいたします。


1973年、木津の地に引っ越してきて会社をつくり、その敷地にバラックを建てて、家族とともに寝泊まりしていました。2年ほどして手狭になってきたので、どこか適当なところはないかなあと住む家を探していたのですが、当時の木津は、あたり一面田んぼや畑の広がる田園地帯で、アパートや空き家など皆無といった状況でした。


できるだけ仕事場の近所に住みたいと願っていたのですが、そんなことは不可能だと思い込んでいました。


そんなある日、会社の2階から何気なく外を眺めていると、すぐ近くにM工業という会社の作業員の方が寝泊まりしておられる建物が目に入りました。そのとき初めて見た建物でもなかったのですが、「あの土地と建物を分けてもらえたらいいのになあ」と思ったのでした。


そしてその夜、夢を見ました。夢の中でM社長に「あの家を分けてもらえませんか?」と頼んだところ「ああ、いいですよ」という答えが返ってきて喜んだのも束の間、目が覚めて「なんだ、夢か」とがっかりしました。


あくる日のことです。大阪に行く用事があったので、近鉄電車に乗り、奈良の大和西大寺という駅で降り、陸橋を渡って大阪行きのホームで電車を乗り換えることにしました。


陸橋の階段を降りながら、階下を見ると、ホームでM社長がこちらを見上げているではありませんか!?


ホームに降りて挨拶をすると、大阪難波に行くために次の特急を待っているということでした。それなら行く先は私と同じところなので、特急料金を奮発して、ご一緒させていただくことになりました。


車中で「あの土地を分けてほしいのですが…」とお願いしたところ「ああ、いいですよ」という、夢で見たのと同じような答えが返ってきてびっくりしました。


お蔭さまで、その土地、建物を分けていただき、それから40年、ずっとそこに住みつき、田舎暮らしを堪能させていただいています。


「意味のある偶然の一致」に関して、もう一つの体験を紹介させていただきます。


1990年、「気」をテーマとして、舩井幸雄先生に何から何までお世話になり、トータルヘルスデザインという会社を創業いたしました。あるとき、舩井先生からハワイのカウアイ島に行くというお話をお聞きし、お供させていただくことになりました。その時までハワイにカウアイ島という島があることさえ、知らなかったのですが、翌日、会社で仕事をしていると、社員から「カウアイ島のOさんから電話です」と告げられびっくりしてしまいました。


もちろんカウアイ島のOさんは全く初めて、舩井先生ともお知り合いではなく、見ず知らずの人です。しかも昨日の今日のことなので、本当にびっくりしました。


その後、来日されたOさんとお話しさせていただく機会があり、それ以後、ハワイに行くときには何かと便宜を図っていただくことになったのですから、人の縁は不思議なものだと思うのです。


河合博士は“精神を病んだ人の治療にあたることが多かったユングは、人間の「たましい」ということを考えざるを得なくなっていった。そして彼が「たましい」に関連して見出した最も大切な現象に「共時性」があるのであろう”として次のように述べておられます。


“デカルトは考えることを重視していますが、「たましい」は「想像する」ことを重視する、想像こそは「たましい」の働きであり、それを端的に体験するのは夢であろう”と。


【参考文献】
河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店




Posted by THDstaff at 10:00