2019年07月01日

波動と粒子

つい最近まで、人生50年、あるいは人生60年という言葉をよく耳にしたものですが、それが今や人生100年時代という表現に変わりつつあるような感じがいたします。今、何が起こっているのでしょうか?



26歳の若さでこの世を去り、幻の童謡詩人として語り継がれている金子みすゞさんは、「蜂と神さま」で次のように謡っておられます。


蜂はお花のなかに、
お花は庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本の中に、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに、
さうして、さうして、
神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。

(金子みすゞ童謡全集より)




超微細なキズナ


前月号でもお伝えいたしましたが、お釈迦様が入滅されるとき、弟子たちに向かって「自燈明・法燈明」、すなわち「自我を捨て、自分の内部に潜む仏性を燈火とし、そして宇宙の原理とも言うべき如来の働きかけを燈火として生きていきなさい」という言葉をかけられたと伝えられています。


このことについて、現代人としての立場に立って、考えてみることにいたします。


私たち人間の体は誰でも、大脳や胃腸などの“臓器”を部品として形成されていますね。そしてそれら“臓器”は60兆とも言われる“細胞”で構成されていますし、それら“細胞”はたんぱく質やアミノ酸のような“分子”から、そして“分子”は炭素や窒素などの“原子”から、そして“原子”はクオークやレプトンなどの極微の“素粒子”からできていることが現代科学で確認されています。私たち人間の原材料を追求いたしますと、これ以上細かいものは存在しないのではないかと思われる極微の“素粒子”に行き着くというわけです。


波動と粒子



素粒子のレベルにおいては、「物質」と「エネルギー」が相互に変換しているといわれています。つまり、人体の微細な領域においては、量子レベルの振動がエネルギーの振動となり、物質の粒子が形成されるわけですが、人間の神経系は、それら量子レベルの振動をキャッチしているのだそうです。


健康の基本は、粗大なレベルの力に比べて無限に大きいエネルギーをもつ「量子レベル」の視点を意識していくことが、基本となるのかもしれません。少し飛躍しますが、原子爆弾のエネルギーのすごさが目に浮かびます。この自然界においては、量子的な飛躍があるとき、すごいエネルギーが解放されるのではないでしょうか。このようにして、自然は岩や木や星を創造していますし、人は人体を創造しているというわけです。人の体は、見えない力、すなわち量子的なキズナで分子同士結ばれているのです。自然の中に無限の知性が存在しているのですから、誰でも常に体を更新していて、健康な動脈、背骨などを創造していると言うわけなのです。



宇宙の中の人間


科学の目を通して、この世界の仕組みを追求いたしますと、ものすごく複雑な原理に基づいて形成されているように感じられますが、実態は意外にシンプルなのかもしれません。


人間の原材料だけを見ていますと、どこにも自我をはじめ真我は見当たりませんね。大宇宙の本質としての“法”が、人間に働きかけることによって、人間社会を形成し、成長している様子が見て取れるのではないでしょうか?


大宇宙の本質を神さまと呼ぶなら、金子みすゞさんの詩に表現されているように、神さまの中に全世界が存在することになりますし、その一方で小ちゃな蜂のなかに神さまもいらっしゃるという構図が見えてくるのではないでしょうか?


神さまは融通無碍とし
か言いようがありませんね。


生命の仕組みは、現代科学の枠内には収まりきれないように思えてきますが、いつも新鮮な目で、自然界とお付き合いをしていきたいものです。


人生100年時代を迎えつつある今、新鮮な目で自然界と接することによって学びを深め、お互い同士、価値観そして根本思想を共有することが求められているといってよいと思います。


そのために必要なことは、「“形ある万物”の秩序に浸透し、流動している“形なきエネルギー”としての“気”の働きによって、私たちは生かされている」ことを認識することだと思います。


“気”というのは、E=mc2という公式では表現しきれないエネルギーですね。


さて物質世界を構成している最小の「素粒子」は“波動”と“粒子”の2面性を持つ存在なので、そこには私たちの常識が通用しない世界が存在しているわけです。


自動車や建築物は、設計図に従って部品を作り組み立てれば出来上がりますが、生物は部品を集めて全体を作ることはできません。先ずはじめに、時々刻々変化する全体像があって、部分が作られなければ、生物はできあがらないわけですから、“粒子”すなわち物質であると同時に“波動”でもある、大変不思議な存在なのです。


粒子に対応して波動が存在することが判明して、量子力学という学問が生まれたといういきさつがあるそうなのですが、素粒子という“モノ”を研究する学問という認識が強くなり、波動力学という印象が薄くなっているという指摘もあります。


 「素粒子論」と呼ばずに「極微世界波動論」としておけば、“波動”という言葉のもつ曖昧で実体をつかみにくいという感じがなくスッキリしている、という指摘もあります。


「自燈明・法燈明」という世界を、思う存分エンジョイしたいものですね。
(つづく)




Posted by THDstaff at 10:00